restart
歩き出すのは、ここからじゃないと駄目だったのね。
「リリアンに?」
「うん、そーした」
薔薇の館でのクリスマス・パーティーを終えて、一度受験勉強から解放した気持ちを、もう一度引き締めて机に向かっていた蓉子は、夜中と言える時間に突然の電話で呼び出されて、何かと思えばやはりいきなりの話。
蓉子は正直、聖の言葉に耳を疑いたい気持ちになった。
この時期に、大学進学を決めたというのも、そして選んだ大学がリリアン女学園であることも蓉子の考えていた聖の未来とはほど遠いものだった。
それでは、どんな未来を考えていたの。そう言われれば、答えようもないのだけれど。
「そーしたって…もう、優先入学の手続きは終わってしまっているでしょう?
一般と同じように受験しなければならないのよ」
「うん」
「それなら、もっと早くに優先入学の手続きをするなり…そうしなかったのに、どうして」
「色々ね、考えたんだよ」
聖はそう言って、にししと笑った。
こういう笑いをしている時は、全くこちらの意見に耳を貸そうとしていない―つまりは、もう悪巧みは実行段階に移されている証拠。
蓉子は一つ、溜息を吐いて。空気が白んで、すぐ消える。
しかし、考えてみれば聖がどんな進路を取ろうと、自分が何を言う義理もないのだ。
権利がない、の方が正しいか。
けれど、彼女が『学校』という場所に、それも『リリアン』に留まろうとしているのは何故か。
蓉子は解らず、また解らない自分と、解らせない聖とに腹が立った。
「志摩子のため?」
「え、何で?」
唯一思いつく理由を言って、逆に問い返された。
聖の妹である志摩子を、リリアンに残したまま去ることに何かを感じているのかと、しかしそうではないらしい。
そうであったなら、自分は彼女の決定を批判しただろう。
そんな思いを見抜いたのか、聖が笑った。
「志摩子は大丈夫だよ。友達がいるから」
「そう」
「それに、進路ってのは自分のために決めるモンでしょ」
「そうね」
「私は、私のためにリリアンに進むの」
『進む』という言葉を使った聖に、蓉子は顔をあげた。
『留まる』ではなく、『進む』言われれば、当たり前のことなのに、どうして自分は『留まる』と考えていたのだろうか。
聖はまた、目を細める。
「今日は何の日ー。クリスマス・イブ!」
少し節をつけてそう言って、それから聖はもう一度繰り返す。
繰り返して、最後、笑った。
笑った顔は、無理をしていた。
「今日は、栞がいなくなって一年だ」
「聖…」
「あの日、蓉子はここに迎えに来てくれたね、お姉さまと一緒に。
あれから一年経って、お姉さまが卒業して、志摩子が入学して、志摩子を妹にして…その間、蓉子はずっといてくれた」
けどさ。
小さく、ほんの少しだけ俯いて、次にあげた聖の顔は笑っていた。今度は、辛さなんて見せない笑みを。
「もーバラバラになっちゃうねー」
「卒業…だものね」
「うん。だからさ、私も蓉子に手を引っ張ってもらうままじゃ駄目だと思ってさ」
「そう…」
「リリアンって場所で、栞と出会ったあの学園で、けれどお姉さまも志摩子も、蓉子もいないリリアンで。
同じ場所で、違う場所で、私は進んで行こうと思うんだ。
だから、リリアンにした。大学へ進むことにしたんだ」
「…えぇ」
何故か、酷く心が乱れた。
友人が過去の痛手を昇華して、次の世界へ進もうとしているのに。
それをずっと望んでいたのは確かなのに。
とても寂しい。
そう、寂しい。
彼女はもう、私のいない場所を考えている。
それを知ることで、蓉子は今、目の前に立つ聖がとても遠い場所にいるように感じた。
聖に、もう必要ないのだと言われてしまったようで…そんなわけではないのに。
ふいに目が潤みそうになった瞬間、場違いな機械音が響いた。
驚きで涙も引っ込み、顔を上げれば、聖が左手につけた腕時計を弄っているのが見えて、今の音が彼女の時計のアラームだと知る。
蓉子が顔を上げたことに気づいた聖は、弄っていた時計をそのまま蓉子に掲げて見せた。
「今日は何の日ー」
「クリスマス・イ…ううん、ハッピーバースデイ、聖」
「イッエース。サンキューサンキュー」
何故か外人口調で大袈裟に礼を言った聖は、そのままハグをしてくる。
今の今まで真剣な話をしていたのに、全く…そう思いながら、蓉子は聖の腕の温もりで安心している自分を見つける。
「でさ、バースデイプレゼントもらいたいんだけど」
「学校でプレゼント交換したでしょう?」
「あれはクリスマスプレゼントじゃーん。誕生日が記念日だと、損だよねー。可哀相だと思わない?」
「もぅ…」
「何か買ってとか言わないからー、お願い聞いてよ」
「キスとか嫌よ」
「解ってますって紅薔薇さま」
「じゃあ、一応聞いてあげる」
「ん…私さ、受験頑張るし。絶対リリアン女子大進むし…色々、ちゃんとやるから、さ」
言葉を区切って、聖は呼吸を一度整えた。
抱きしめられた体制のままだから、彼女の心音が少し高くなったのが感じられる。
何を言われるだろう、蓉子も聖につられて緊張するようだった。
「来年もさ、こーして一番にハッピーバースディって言ってくれない?」
ほんの少し、声が小さいのは彼女の緊張のためだ。
蓉子は、笑ってしまいそうになった。
どうして、いつもいつも堂々としている聖なのに、こんなことで緊張するのかしら。
彼女の背中に、初めて腕を回して、子供をあやすみたいにその背を叩いた。
「来年は、こんな寒いところは嫌よ」
「ん…それじゃ、夜景の綺麗なホテルにでも」
「言ってなさい」
「言ってるよ」
「さぁ、ほらじゃあ。あなたもこれで受験生の仲間入りなんでしょう?
だったら身体冷やして風邪でも引いたらコトなんだから、さっさと帰るわよ」
そう言って聖の身体を引き剥がして、蓉子は歩き出した。
聖が後ろで、文句を垂れていたが、すぐに小走りで横まで追いつく。
聖が、そして私は歩き出すのだ。
ここから、この場所から。
右手にそっと、温もりが添えられた。
蛇足という名のコメント
遅ればせながらの開設祝いという名目で、AddictiveSweet→の涼流さんから頂きました。
マリみてを貸し付けてまで書いてもらいました。(はた迷惑な)
思わず萌え死ですよ、もう。
ものっそジャンル外なのに書いてくれてありがとうー。
TEXTに戻る