世界中で、一人だけ



『今日はもうお帰りになって下さい』

一体何を言われているのか、しばらく理解できなかった。



朝から兆候はあったけれど、どうにかなるだろうと思って登校した。
けれど結局、午後に差し掛かる頃からじわじわと熱が上がっていって放課後になると、
ふらつくかふらつかないか、そんなギリギリの状態になっていた。
こんな時でも『優等生』だった私は、掃除日誌を職員室に届けて薔薇の館に向かおうとしていて。
呼び止められたのは、確かそのタイミング。

「お姉さま」

振り返らなくても分かる。それは私の大切な妹の声。
返事の代わりにゆっくり振り返る。

「薔薇の館に行かれるのですか?」
「ええ、そうよ。今日は決めなくてはいけないことも多いから、祥子も遅くならないようにね」

鞄を取りに行くために、教室へと足を向ける。

「お待ち下さい、お姉さま」

背を向ける私を、祥子の声が追ってきた。

「今日はもう、お帰りになって下さい」
「え?」

一体この子は何を言っているのだろう、そう思った。

「お姉さまは、体調が優れないのでしょう?ですから今日はもうお帰りになって、お休み下さい。」

今日一日、誰にも気づかれなかった。母にも、友人たちにも、先生にも。

それなのに、たった今会ったばかりの祥子に見抜かれてしまった。
普段通りに振る舞っていたはず、だったのに。

「今日は会議があるのよ、休んでなんかいられないわ」

3年生を送る会に向けて、話し合わなければならない事はたくさんある。今は一日でも惜しい状況だから。
祥子だってそれは理解しているはず。
だからこれで引いてくれるだろうと考えていた私は少し、甘かったのかもしれない。

「会議は明日でも間に合います」
「だけど早いに越したことはないでしょう?急にやることが増えてしまうかもしれないし」
「やることが増えたなら、皆で分担すれば問題ありません。
むしろ無理をされて、倒れられでもした方が余程迷惑です」
「あら、随分とはっきり言うのね」
「『言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい』と仰ったのはお姉さまですから」

互いに引かぬ押し問答を制したのは祥子。
私の事を心配してくれているのがこれでもか、というほどに伝わってきたから、
無理をしてまで会議に出ようという気が失せてしまった。
大事な妹に心配をかけてまで、『紅薔薇のつぼみ』でいる必要も感じられなかった。

「ふふっ、そうね。それじゃあ今日はお言葉に甘えて休ませていただくわ。皆に伝えておいて」
「お大事に、お姉さま」
「ええ。…」

そういえば、と私は先ほどからの疑問を祥子にぶつけてみることにした。

「どうして祥子は私が熱があるって分かったの?」
「……私は、お姉さまの妹ですから」

頬を赤らめて、俯きながら。

その理屈は無茶苦茶だったけれど、スールの関係なんて案外そんなものかもしれないと自然にそんな風に思えた。

「なるほどね。それじゃあ仕方ない」

言いながら歩き出した。後ろから、祥子の声が追ってくる。

「ごきげんよう、お姉さま。ゆっくりお休みになって下さい」

頬を微かに染めたまま、そう言って見送ってくれる祥子の姿が、とても愛しかった。

「ええ、ありがとう。ごきげんよう、祥子」

言って、すぐに前に向き直る。
だって、熱が出ていて少し辛いというのに笑みがこぼれてしまっていたから。

祥子に言ったら不謹慎だと怒られるかもしれないけれど、祥子が気づいてくれたことが嬉しかった。
『妹だから』分かるのだと言ってくれたことが嬉しかった。

「言葉にしないこの声は、きっとあなたにしか聞こえないのね」


世界中の誰もが気づかなくても祥子だけは私の声を見つけてくれる、
そんな根拠のない、だけど確信に近い思いを抱いていた。



あとがき
初蓉祥。
鈍い蓉子さまを書くのが、楽しかったです。
妹だから、好きだから、いつだってその姿を探してしまうのだと。
祥子側のテーマはこんな感じ。
ちなみに、1番難産だったのはタイトルだったりする…。


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