未来予想図



「蓉子」



目の前の彼女は優しく微笑んでいる。
私は蓉子の笑顔が大好きで。
だから、そこに漂う違和感に気づいてしまった。

「蓉子?」

彼女は答えない。
微笑んで、ただそこにいるだけ。
何かが、おかしい。心の中で誰かが言った。

「蓉子・・・」

ゆっくり手を伸ばして、一歩ずつ足を踏み出して。
私を駆り立てるこの不安を消し去りたかった。

けれど、私の手は届かない。
近づけば近づくほど私たちの距離は離れていくのだ。
目の前の蓉子は微笑んでいる。
私から離れた場所で微笑んでいる。
その笑顔は少なくとも、私のものではない。



「・・・行かないで」


気づいてしまった。
この手はもう蓉子には届かないこと。
それを理解しながらもその姿を追い続けるだろうことを。

「嫌だ。行かないでよ」

叫びながら駆け出した。
何かに足を取られて転んだけれど、何故か痛みは無かった。

『行かないで』

誰もいなくなってしまったその場所で声が枯れるまで叫んだ。
きっと届かない、そんな絶望に近い想いを抱きながら。



「・・・・・・い・・・せい・・・」

突然、辺りに声が響いた。
私を呼ぶ声。
その声のする方へ自然と足が向いた。
ここにいたくなかったから。
たとえその先に彼女がいなくても、この悪夢から連れ出してくれるのなら、それが誰でも良かった。









「せい・・・、大丈夫なの?聖」


「蓉子?」

目の前には蓉子がいた。私の顔を覗き込んでいる。
とっさに状況を理解する事が出来なかった私は、蓉子の頬に手を伸ばす。
柔らかい手ごたえと伝わってくる体温。
ああ、あれは夢だったのか。
ほっとして周りに目をやると、そこは薔薇の館の二階だった。
どうやら居眠りしてしまっていたらしい。

「聖、あなたうなされていたのよ」
「・・・だろうね」

目が覚めて意識が覚醒しても消えないあの夢。
考えないようにしていた悲しい未来予想図は、いやにはっきりと頭の中に残ってしまっていた。

「どうしたの?」
「何でもない。嫌な夢を見ただけだよ」
「何でもないなんて、嘘でしょう?あなた、気づいていないの?」

―目を覚ましてから、ずっと泣いているのよ。
私の涙を拭いながら蓉子が言う。
少しずつ、けれど零し続けていた涙ですでにタイの一部に染みが出来ていた。
泣いていると自覚した途端、薄れていた感情が頭をもたげていることに気づく。

「ただの夢にしては様子がおかしいと思うのだけれど・・・」
「・・・・・・蓉子がさ、いなくなっちゃったんだ」
「・・・私?」
「どんどん私の手の届かない遠くに行ってしまったの。追いかけても全然追いつけなかった。
私は『行かないで』ってずっと叫ぶんだけど、声も届かない。
私、いつか蓉子が私の前からいなくなってしまうんじゃないかって思って、ずっと怖くて。
その時は必ず来るんだって、未来を突きつけられているみたいで苦しかった・・・!」

堰を切ったように泣きながら、早口で捲し上げるみたいにして不安も恐怖も何もかも全部ぶちまけた。
蓉子がどんな反応をするだろうかとか、いつも当たり前に考えてることは何も頭にはなく、
ただ抱えきれない想いを手放して少しでも楽になりたかった。
蓉子は何も言わず、ただ頭を撫でてくれていた。

「大丈夫よ、聖」


―大丈夫。

泣きじゃくる子どもをあやす様な優しい声が心地良かった。
この声を聞くと、自然と何もかもを委ねてしまえるような気さえする。

「私たちが離れるとしたらそれは、あなたが私を捨てる時だから」
「・・・蓉子?」
「私はあなたを捨てないから。だから、あなたは安心して私の傍にいればいいわ」

優しく、けれどとても力強い声。
ああ、蓉子はどうして弱さも何もかもしまいこんでこんなに強く在れるのだろう。
嫌いだったはずのその強さが今ではこんなに愛しい。

「・・・強く、なりたいな」
「どうしたの?いきなり」
「蓉子に寄りかかるだけじゃなくて、蓉子が寄りかかれるくらいに強く、なりたい」
「何言ってるのよ」

―聖がそんなに強くなってしまったら、私の立場が無くなっちゃうじゃない。
冗談めかして軽く笑った。



「好きだよ、蓉子」

自然に口をついて出た。

「どうしたのよ、本当に」
「・・・なんでもないよ」

本当に、なんでもなくて。
ただ幸せで、そんな気持ちを表せるのが『好き』という言葉だっただけのこと。
きっと、何回、何百回言ったって足りない。
笑いながら抱きついて、蓉子の胸元に顔を埋めて、『大好きだよ』と言った。

「もう、泣いたり笑ったり、忙しい人ね」

だって仕方が無いじゃない。
私の未来にはあなたはいないと思っていたのだから。
あなたはいつか私から離れていくものとばかり思っていたのだから。

「ずっと傍にいてよね」
「言われなくても、そのつもりよ。だからもう、あなたが泣く必要も無いわ」

その言葉に答える代わりに、抱きついた腕に少しだけ力を込めた。



大丈夫。
あなたが傍にいてくれるのなら、きっと私はもうあんな未来は描かない。



あとがき
お久しぶりのSS更新です(本当にな)。
置いていく時よりも、置いていかれる時のほうがたぶんずっと痛い。
蓉子さまのあの言葉も、本当は同じような不安を振り切ろうとしているだけなのかもしれない。
『傍にいて欲しい』という、切実な訴えなのかもしれない。


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