ここまでおいで



冬休みが明けて、三学期が始まった日、聖は長かった髪をばっさりと切って現れた。
周りの生徒たちの興味本意な騒ぎは私にまで飛び火したけれど、『知らない』という一言で一蹴した。
だって、髪を切った理由なんか知らない。私は何も聞かされていないのだから。
そんな事を知り得るわけがないじゃない。
好奇心に裏打ちされた彼女達の行動に微かな苛立ちを覚えながら、薔薇の館へと足を向けた。



「今日は、会議は中止だそうよ」

扉を開けたその先にいたのは聖一人。
何をするわけでもなく、ただ席についてお茶を飲んでいるだけのように見えた。

「蓉子が熱を出して早退ですって。さっき祥子が言ってた。
令は部活の方に行かせたから」
「お姉さま方は?」
「自由登校だから、知らない」

自由登校の三年生が、登校日以外に学校に来るなんてことはあまりない。
おそらく、誰も来てはいないのだろう。

「つまり、二人きりってわけね」

隣に座りながら言ったその言葉に、聖が一瞬顔をしかめた。

「何よ、その顔。そんなに私と二人きりになるのが嫌?」
「…別に」

不機嫌そうな表情でそう言って、目をそらす。
そんな態度が何故か腹立たしく思われた。
だからだろうか、言わなくても良い言葉を、私は口にした。


「…ねぇ、聖」
「何?」
「みんながみんな、いつまでも待っていてくれると思ったら大間違いよ?」
「…どういう意味よ、それ」

一層不機嫌そうな表情になる聖。多分、言葉の意味を理解していないのだろう。
それほど曖昧な言葉を、私は使っていたから。

「髪を切って、吹っ切ったのかと思っていたけれど―」

時折見せる悲しげな表情が、私を苛立たせることなんか知らないでしょう?

「いい加減に、その『何もかも失くしてしまった』みたいな表情やめて頂戴」
「…私が、いつ」
「自覚してないの?重症ね」

喧嘩腰の言葉。いつもそうなってしまうのは、私と聖の相性が良くない事を表しているのかもしれない。

「…だとしても、江利子には関係ないじゃない」
「私は、そんなあなたを見ている時の蓉子の表情も嫌いなのよ。
それに、蓉子にもたれ掛かってるあなたはもっと嫌いだわ」

だからって、私にもたれ掛かられてもそれはそれで困るのだけど。

「蓉子がいなくなったらどうするの?あなたは、ずっとそこに座りこんでいるの?」

――いい加減に立ち上がりなさいよ
言葉は続かなかった。その代わりに、ぱしん、と乾いた音が空間を支配した。
ピリピリした感覚の走る頬がじわりと熱を持ったのを感じる。

「江利子なんかに、私の何が分かるのよ!」

叩いた手を胸に抱きながら叫んだその声は、まるで悲鳴のようにも聞こえた。
叩かれた頬が感じているはずの痛みは、実感のない、どこか遠くのもののように思えた。
何故か目の前の聖の姿の方が、もっとずっと痛い。

「私には何も分からないわ。だって、あなたは何も話さないじゃない。
憶測を並べたってあなたには近づけないでしょう?
だから私は待っているの。あなたが立ち上がるのを、ただ待っているのよ」

差し伸べる手は一つで十分。だから、私までそちら側に行くことはないのだ。
私は手を差し伸べる蓉子の隣に立って、ただ待っている。
聖は俯いたまま、私の言葉を聞いていた。
沈黙が痛いほどに肌に突き刺さる。

「私が立ち上がったら、そうしたら江利子はどうするの?」

俯いたまま、けれどはっきりとした口調で聖は尋ねた。

「そうね…」

考えながら、聖の顔を上げさせる。透き通った瞳には、微かな不安の色が浮かんでいた。
美しいけれど、嫌いな色だと思った。

「その時は、あなた達と並んで一緒に歩きましょうか」
「…何処に向かって?」
「目的地はさほど重要じゃないんじゃないかしら」

そう。目的地なんか決めなくたっていい。
その気になれば、私たちはどこへだって行けるだろう。
3人で、肩を並べて、往く道が分かれるその日まで。

「だからあまり私を待たせないで頂戴。気が変わってしまうかもしれないわよ?」
「そんな気なんか、始めからないくせに」

泣きながら笑っているような声と表情で聖が答えた。

「あら、やっぱり分かっちゃった?」

その答えは正しい。二人は常に私の気を引く存在なのだ。そんな二人を私がみすみす手放す訳がない。
「…時間、かかるかもしれないわよ?」

不安の色が瞳の中で揺れている。

「じゃあ、蓉子に頑張ってもらいましょうか」
「本当に何もしない気なんだ?」
「しないわよ、面倒くさい」
「あはは、江利子らしいや」

言いながら、聖は泣き出していた。
一生懸命涙を拭っているようだけど、たいして意味がないように見えた。

「無理しなくていいわ。泣きたいなら泣きなさいよ」
「…うん、ごめん江利子、少し胸借りる」
「ええ」

そのまま聖は声を上げて泣き始めた。
涙の意味がどこにあるのかは分からなかったけれど、もしかしたら聖自身よく分かっていないのかもしれない。
悲しみや苦しみなんか、涙と一緒に流れてしまえばいい。
分からないなりに、私はそう思っていた。

「待っているからね、聖」


待っているから。
この手を差し出したりはしないけど、立ち上がったら肩でも何でも貸してあげていい。
だから…



早く、ここまでおいで。



あとがき
何故江利子さま絡みはシリアスっぽい話になってしまうんだろう。
でも、こういう話好きなんです。
それにしても、『恋』的要素があるんだかないんだか。


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