君と同じ時を纏う



「どうしよう…」

会議が終わり、皆がパラパラと帰りだした頃、薔薇の館の二階に焦りの色を帯びた祐巳ちゃんの声が響いた。

「どうしたの?祐巳ちゃん」

祐巳ちゃんの二つ隣の席に座っていた蓉子が、少し身を乗り出して尋ねる。
その間にも祐巳ちゃんは百面相を次々と披露していた。

「バスの定期がないんです。どこかに落としてきてしまったのかも…」
「ポケットの中は?」
「…ないです。鞄の中にもどこにもなくて…」

今にも泣き出しそうな顔。かわいそうだなと思うけど、私が言えることなんか何もなかった。

「もう。祐巳、あなたはどうしてそうなの」
「ごめんなさい、お姉さま」

うなだれる祐巳ちゃんの頭に、優しく手が置かれた。蓉子だ。

「祥子、そんなにきつい言い方しなくても良いでしょう?
祐巳ちゃん、落ち着いて、最後に定期をしまった場所思い出してみて」

ゆっくりと優しく話す蓉子の姿は、母親が子供をあやしているようにも見える。

「えと、バスを降りて…そう、鞄がパンパンで入れにくかったのでポケットの中に入れたんです」
「そう、でもポケットの中に定期はなかったのよね?」
「…はい」
「今日は、体育の授業はあったのかしら?」
「いえ、ありませんでした」
「それじゃあ、今日制服姿で動き回った場所は?」
「えぇと、一階の部屋をみんなで片づけましたよね。…あ!」
「そうね。もしかしたらそこで落としたのかもしれないわね」
「あ、私、ちょっと探してきます!紅薔薇さま、ありがとうございます」

言いながら、ばたばたと階段を降りていく。
あんな降り方をしたら、階段の寿命が縮みやしないかと、少しだけ心配になった。

「お姉さま、私も下に行ってきますわ」
「ええ。早く見つかるといいわね」

ペコリと軽く会釈をして祥子も階下へ。
いつの間にやら二階には、私と蓉子の二人だけになっていた。



「私も、下に行ってこようかなー」
「…上じゃダメなの?」
「え?」


なんともなしに呟いた言葉だった。
早く見つかるに越したことはないと、そう思ったから。
だから本当に、そんな言葉を聞けるなんて思ってはいなかったのだ。

「…じゃあ、こっちにいることにする」

答えを出すのに一瞬以上の時間はいらなかった。
蓉子の隣の椅子を引いて、座る。

「ずるいなぁ、蓉子は」

蓉子にそんなこと言われたら、ここにいるしかなくなるじゃないか。

「な、何がずるいのよ?」

―傍にいて欲しいなら、そう言えばいいのに。
心の中でだけ呟いた。
私だって『傍にいたい』なんて言わないから、あいこなのかもしれないけれど。
蓉子も、私も、もっと素直になればいいのに。
多分無理だと思いながら、ちょっとだけ笑った。

「ねぇ蓉子」
「な、何よ」
「キスしよっか?」
「…しないわ」

呆れたような呟きが、ため息と共に私の耳に届いた。

「え?だって、キスしたいから私を下に行かせなかったんじゃないの?」
「ち、違うわよ!」
「そんなに思い切り否定しなくたっていいじゃない、ひどいなあ」

ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ傷ついたみたいな表情で。
蓉子がこういう表情に弱いのを知っているから。

「あ、ごめんなさい、聖。…聖?」
「冗談だよ」

にかっと笑って言った。

「私は、蓉子の傍にいられるだけで十分幸せなんだからさ」
「…聖、」
「蓉子?」
「私も、幸せよ」
「…うん」

ほんの少しだけ素直になってみたある日の午後、割に合わないくらい幸せになれた気がした。



あとがき
本当にあった会話シリーズ第二弾(え。(ちなみに第一弾は『乾いた涙』)
どの台詞が、とはあえて言いません。
何となく春っぽいお話になった気がしないでもないですが、作中の季節はきっと冬。


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