春の長い雨



「志摩子、ありがとうね」

薔薇の館での、二人きりのお茶会の最中に、お姉さまは突然ぽつりと呟くようにそう言った。
私はその言葉の真意が読みとれなくて、しばらく目を白黒させていた。

「…私の妹になってくれて」
「え?」

はにかむような、少し幼く見える笑顔でお姉さまが続けた言葉は、私の思わぬものだった。

「短い間だったけどさ、志摩子が私の妹で良かったって思ってるんだ」

そう言うお姉さまはもうどこか遠くを見ているように思えて、『置いていかれる』、そんな気持ちになってしまう。

「…」
「そんな表情しないでよ。それに、卒業したって私はリリアンにいるんだから」

だけど、私がお姉さまに助けを求める事はきっとない。
ましてや、お姉さまが自分から私の前に姿を見せることなんか、もっとあり得ない。
私たちは、『そういう』姉妹だから。
お姉さまは、全て理解した上でこんな事を言うのだ。
お姉さまはずるい。
こんな事を言われてしまったら、私は追い縋ることすら出来ない。

「志摩子?どうしたの?」
「…何でも、ないです」

口にした紅茶には涙の味が混ざっていた。
いつの間にか溢れてきたらしい。
涙と一緒に、この気持ちも流してしまえればいいのに。
そうして、いつか乾いて、初めから無かったのと同じになってしまえばいいのに。
そう思わずにはいられなかった。

「志摩子」

大好きなこの声。
この声を聞くことがこんなに辛くなるなんて思わなかった。

「志摩子!」

突然、隣に座るお姉さまの方へ体が引き寄せられ、抱きしめられた。

「私は、ずっと妹なんかいらないって思ってたの。お姉さまが卒業なさって、
一年後には自分も何も変わらないまま卒業していくんだって、そう思ってた。
だけど志摩子に出会って、スールの契りを結んで、私は良い意味で変われたよ」
「お姉さま…」

降り注ぐ言葉にまた涙がこみ上げてくる。
それを悟られないよう、ぎゅっとお姉さまにしがみついた。

「志摩子は、私に出会って何か変われた?」

『はい』
そう答えたかったけれど、涙が邪魔をしてそれは言葉にならなかった。
ただただ、お姉さまの胸の中で必死にうなづくことだけしか出来なかった。

「…それなら、よかった」

穏やかに言うお姉さまの声はどこまでも優しくて。

『私を置いて、どこかへなんて行かないで』

心の中で、届くことのない声を上げて、そして堰を切ったようにひたすら泣いた。
お姉さまがいなくなる事が、まるでこの世界の終わりであるかのようにすら感じた。
全ての出来事が『最後』なのだと、痛いほどに実感した。
この幸せな世界を、私は今日を限りに失くしてしまう。
だから、心の内には絶望しか見つけられなくて。
真っ暗な闇の中に取り残された子供のように、ただ誰かに目の前を照らして欲しかった。

「志摩子、そんなに泣かないで。どうしていいか分からなくなってしまうよ」

ごめんなさい、お姉さま。
止められる涙なら、多分はじめから泣いたりなんかしない。
涙が止まらないから泣き続けているだけ。そこに私の意志は介在していなかった。
その時突然、首筋に暖かいものを感じて顔を上げる。

「お姉…さま?」

お姉さまは、泣いていた。
正確には『涙を流していた』、と言うべきかもしれない。
感情を伴わない涙がこぼれ落ち、頬を伝ってタイを濡らしている。

「あ、あれ?何で?何で私、泣いてるの?」

わたわたと制服の袖で涙を拭うお姉さま。その涙の意味は、私には分からない。
ただ、お姉さまのそんな姿を見ていたくなかった。

「お姉さま、泣かないで」

泣かないで。

置いていくのはあなたなのに。離れていく距離を嘆くのは私一人でいいのに。
お姉さまには何も悲しむことなんかないから、だから…

「泣かないで、お姉さま」
「泣きながらそんなこと言われても説得力がないよ、志摩子」

お姉さまは泣きながら、けれど晴れやかに、笑った。

「ねぇ志摩子?今は悲しいかもしれないけど、いつまでも泣いていたらだめよ。
涙のせいで大事なものまで見えなくなってしまうから。泣くだけ泣いたら、ちゃんと泣き止みなさい」
「…はい」
「それで、もしも一人ではどうにもならないことがあったら、その時は差し伸べられた手をとりなさい。
…私も、そうやってここまで来たから」

微かに目を伏せて、静かに言った。
もしかしたら、『そうやって』ここまで来る道のりを思い出していたのかもしれない。

「…これは、『遺言』というものなんでしょうか」
「ああ、祐巳ちゃんが言っていたやつだね。…そうかもしれないし、違うかもしれない。
そんな大層なもののつもりで言った訳じゃないから、忘れてしまったって構わないし」
「…私、絶対に忘れません」

涙を拭って、はっきりと言った。
絶対に、私はこの言葉を忘れない。この言葉は、私とお姉さまの絆の確かな証だから。

「そう?それならそれで構わないけど」
「はい。絶対に」

世界は一つ終わるけれど、明日からはまた別の世界が始まる。
そこにお姉さまがいない事が、今はただただ悲しくてしょうがない。
その事を悲しむ日は、もしかしたらしばらく続くのかもしれないけれど。
だけど、ふと気づいた時にはこの悲しみも消えて、涙も乾いてしまっているのだろう。

いつか、必ず雨があがるように。



あとがき
初聖志摩です。好きだけど、なかなかに書きにくい組み合わせ。
何気に『終わる世界の最後の朝に』から続いていたり。
実はこれ、30.の『触れない指先』用に書いてたものだったりします。
途中から路線が変わってしまいここに。
でも、こっちのがしっくりくる気がするので結果オーライってことで(逃)。


恋かもしれない35題に戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送