風の強い日



思いつきとはおかしなもので、ふさわしくない状況の時に突然訪れるらしい。


空を見よう、そう思って屋上に上った、ある風の強い日。

それは何でもない、ただの思いつきだった。
落ちないように少しだけ気をつけて手すりを越えると、開けた空間がそこにはあった。
屋上の端、一歩先にあるその境界線を越えれば世界はきっと変わってしまう。
思いながら言いしれぬ感覚にゾクゾクしていた。

ふと、下を人が通りかかる。見覚えのある姿。
ぼんやり眺めていたら突然彼女は顔を上げ、その視線は私のそれとぶつかった。
表情が、固まっている。

「聖!あなた何してるの?!」

言葉が出るまでの間にどんな思考が巡ったのか知らないけど、何となくは分かった。
何も、と軽く言ったけれど首を傾げた彼女はまだ怪訝そうな表情で。
仕方ないから、「何もしてないよー」と、ちょっと大きい声で言ってみた。
どうやら今度は届いたらしい。

「そのままそこにいて!」

こちらを指差し、その言葉を残して蓉子は校舎の中に消えていった。



私は手すりの内側にもどって、ずるずると座りこむ。
見上げた空は吸い込まれるような青が美しかったけれど、何の感慨も湧かなくて。
足元に広がった大地の方が、余程私を惹きつける。そんな気がした。

ほどなくして、蓉子が屋上に現れた。

「次の時間は自習なの?」
「そうよ。…そんなことより、どうしてこんな所にいるのよ。屋上は鍵がかかっている筈だけど」
「ちょっとね、ピンでいじったら開いたんだよ」

ピンを持っているふりをして、手首を返して鍵を開ける仕草をしてみせた。
蓉子はちょっと呆れている。

「…あなたピンなんて使わないじゃない」
「落ちてたんだよ。いっぱいあるわよ、窓の桟の所」

多分同じことを考えて、志半ばで諦めた生徒たちが残していった物なんだろう。
まさかリリアンにそんな生徒がいるとは思わなかったけれど。
しかしおかげで私は、道具には困らなかったというわけだ。

「よく開いたわね…」
「私も正直言って開くとは思ってなかったんだけどね。まあ、開いちゃったものはしょうがない」
「…で?どうして屋上に上ろうなんて思ったの?」
「うーん…。空を近くで見たかったから、かな」
「空?」
「そう、空」
「じゃあ手すりの外なんかに出る必要ないじゃない…」

一気に全身の力が抜けてしまったかのように、蓉子はその場に座り込んだ。
自然、二人の視線がぶつかる。


「思いつきだったんだ。手すりの外に出たら何か変わるのかなと思って」
「やってみてどうだった?」

うーん、と空を見上げて少しだけ考える。


「何も変わりはしなかったよ」


上空はさっきよりも風がつよいのか、雲の流れが速くなっていた。
若干白の割合が多くなったその空にも、結局の所は何も感じない。

「…そう」

「飛ぼうと思ったって、結局は地に落ちるだけでしょう?一歩先には未来も何もなかったよ」

蓉子は何も言わず、ただ私の言葉を受け止めてくれる。


「…やっぱり私は、どうしたって人間だからさ、」

言いながら、空に向けていた視線を元に戻した。
蓉子の表情が、ほんの少し痛い。

「どんなに空に憧れてたって、結局は地に足がついていないと駄目なんだろうね」


憧れることは出来る。恋い焦がれることも出来る。けれど、決して届かない。
空は、多分私たちには遠すぎるのだ。
無理をして手にしようとすれば、最後には身を滅ぼしてしまうのだろう。


「…私は」
「ん?」
「私は空に憧れたりはしないわ。それは、空は美しいけど、でも…」
「でも?」

突然黙ってしまった蓉子に、先を促す。


「大地には、空の美しさよりもずっと大切なものがあると思うから」



大切なもの。

それは大事な人だったりとか、目指す未来だったりするのだろう。
そしてそれは全てこの大地に存在するものなのだ。
だから、人が地に立って生きていくことしか出来ないのは必然なのかもしれない。
もちろん私にとってもそれは同じ。
いったん気づいてしまえば簡単なことだった。



「……そっか、大切なものを全て手放して生きてはいけないから、だから人は空には届かないんだね」

答えはこれまでも、そして今も、ずっと私の目の前にあったみたいだ。



あとがき
リリアンの生徒はピンで屋上への扉を開けようとしたりしません(多分)。
というか、屋上に手すりありましたっけ…?(確かめてから書けよと)。


恋かもしれない35題に戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送