きっと全て、この夕焼けのせい。
そんな風に思わずにはいられなかった。




夕焼けの魔法



「あっれー?今日は蓉子一人なの?」
「…そうよ、悪い?」

ドアを開けるなり挨拶をすっ飛ばして中に入って来たのは聖だった。

「うーん、残念だなあ。祐巳ちゃんでもいればからかって遊べるのに」

最近聖は、すっかり祐巳ちゃんにご執心の様子。確かに見ていて楽しいけど、正直私は心中穏やかではない。

「あんまり祐巳ちゃんで遊んでると、祥子のカミナリが落ちるわよ?」
「ふふ、望むとこだよ」

心底楽しそうに言う。私は中等部の頃から聖を知ってるけど、こんな顔を見たのは最近になってからなのだ。
…そう、祐巳ちゃんが薔薇の館の住人になってから。

「そのカミナリも含めて、私の楽しみなんだよね〜」
「あら、そうなの?白薔薇さまにそんなご趣味があるなんて知られたら、ファンが泣くわね」
「別にそういう意味じゃないわよ。反応が楽しいってだけなんだから」
「分かってる、冗談よ」


軽い嫉妬、のち自己嫌悪。どう足掻いたって、私は私であるしかないというのに。

「で?紅薔薇さまは本日はどのようなご用件でこちらに?」
「別に、ただ暇だったから来てみただけよ。まさか誰もいないとは思ってなかったけど」

言いながら、お茶のおかわりを入れる為に立ち上がる。聖が付いてくるのが気配で分かった。

「…何?」

「私の分もよろしく」
「…自分で入れなさいよ」
「だって、自分で入れたのより蓉子が入れたのの方がずっとおいしいんだもん」

しばし沈黙。
そんなことを言われてしまったら断れなくなってしまうじゃない。
聖はずるい。そう思った。

「仕方ないわね…」

カップをもう一つ取ってお茶を入れる準備をする。
聖はまだ後ろに立っているようだ。何を考えているのか、全く分からない。

「席についていたら?」

「蓉子」

いきなり後ろから抱きすくめられた。

「ちょっと、何なの?聖」
「蓉子ってやわらかいねー」

抱きしめる腕に力がこもる。
このままでいたいと思ったけど、この抱擁に負けてはいけないような気がして。

「放してよ、お茶が入れられないじゃない」

結局私の方から振り解くなんて出来なくて、一言言うのがやっとだった。
だけど、どうやら聖に離れる気はないらしい。


「…もう少し、このままでいさせて?」


弱々しい声だった。だけど、聖に何があったのかなんて私は知らない。

「嫌よ。私は誰かの代わりなんかじゃないのよ?」

精一杯の拒絶。
私の気持ちなんかおかまいなしな聖に無性に腹が立って、どうしようもなく悔しかった。
心の中に居座っている悲しみを、見て見ぬ振りするのが辛かった。

「…ごめん、蓉子」

ポツリと呟くように言ってから、少し距離をおく。

「謝らないでよ」

そんな言葉は、聞きたくなんかない。

「先、座ってるね」
「分かった」

一言だけの言葉の応酬。
それからの沈黙は苦痛でしかなくて、お茶を入れ終わる頃、私の口の中は何か、苦いものでいっぱいだった。







「聖、お茶が入ったわよ。…聖?」
「…」

返事はない。

「眠ってるの…?」

紅茶をテーブルに置いてから、聖の隣に静かに座った。

「せっかく入れたのに、紅茶冷めちゃうじゃない…」

ぼやいたところで起きる気配はない。
紅茶を飲みながら、私は聖の顔をじっと見つめる。

「相変わらず、憎たらしいくらいに綺麗な顔だわ」

日本人離れした端正な顔、閉じた瞼の奥に隠れる透き通った瞳、色素の薄い髪。

全ての要素が互いを引き立てているかのように美しい。
聖のお姉さまじゃないけど、私は聖の顔を見るのが好きだった。

もっとそばで、もっと良く見たくて、私は体を近づけて聖の顔をのぞき込む。

「えっ?」



その時だった。
私の後頭部に手が添えられ、見入っていた聖の顔が一瞬見えなくなるくらいに近づいて、そして離れた。

唇に残る、柔らかい感触。
何が起きたのか理解するのに、もはや時間はいらなかった。

「…聖?」

声が、震えた。
今、私はどんな表情をしているのだろう。
ちゃんと動揺を隠せているんだろうか。

「蓉子が、何か勘違いしてるみたいだった、から…」

俯きながら、顔を赤らめて。

「…勘違い?」

思い当たることなんて、何もなかった。

「蓉子さっき、『誰かの代わりなんかじゃない』、って言った」
「違う、の?」

その言葉に、聖は立ち上がって、真っ直ぐに私を見据えて言った。

「違うわよ!そりゃ、蓉子がそんな風に考えちゃうのも仕方ないかもしれないけど、
でも私は、少なくとも『今の』私は、蓉子のことが…」

『好きだから』

声はほとんど消えかかっていたけれど、間違いなくそう聞こえた。

「聖」
「だから、そんな誤解とかされたままなのって嫌だったから、いきなりあんなことしちゃったのは悪かったけど…でも」

「聖!」

声をかけられ、一人で突っ走っていた聖はようやく止まった。
顔は真っ赤だし、涙目になってしまっているし、言ってることはなんだか無茶苦茶だけど、
多分端から見たら私も大差ないのだろう。
だから、全部気にしないことにした。
何も気にしなければきっと、大事な一歩を踏み出すことが出来るから。


「…蓉子?」
「私も聖のこと、好きよ。ずっと前から、好きだったの」

聖の瞳に私が映る。きっと私の瞳には聖が映っている。


「…私たち、両思いだったんだ」
「最近は、ね」

ポロポロこぼれる涙に構わず、私たちはしばらく顔を見合わせて笑っていた。

「好きだよ、蓉子。きっと蓉子自身よりも蓉子のこと、好き」
「私だって。ずっと聖が好きだったんだから。これからだって、きっとずっと好きよ」

「『永遠に愛する』とは言ってくれないんだ?」

言いながら、聖は私の涙を拭った。
だから私も、聖の涙を拭って、言った。

「永遠なんて、拷問みたいなものじゃない?
私は、私が死んだ後のことなんかしらない。
生きてるうちにあなたを愛し尽くせばいいことだもの」





そう。永遠なんかいらない。
永遠なんてものは、私たちを苦しめるだけだと私は思うから。
有限であることはきっと、決して嘆かわしいことではないのだ。

「今日の紅薔薇さまは随分と情熱的だこと。ちょっとらしくないよ」
「…夕焼けがあまりに綺麗だから、そのせいじゃないかしら」

見つめ合う私たちの顔が赤く染まっているのも、私が始めの一歩だけでなく、もっとずっと前に踏み出しているのも。
きっと全部この夕焼けのせい。
恥ずかしいからそういうことにしてしまった。

「でも、そんならしくない蓉子も、私は好きだよ」
「…バカ」

そして今度は、どちらからとなく唇を重ねた。
心の片隅でマリア様に懺悔しながら。





傷つけながら、傷つけられながら、この人を愛し続ける私を、お許しください。



あとがき
最初は、江利子聖を書いていたはずでした。
気づいたら、蓉子聖になってました。
ってか、とうとうチューさせてしまいました・・・。
書き始めには予想すらしなかった事態が続々発生です。


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