その言葉は、信じられないほどに受け入れ易かった。



乾いた大地に降り注ぐ雨



冬休みが明けて、私は薔薇の館にいることが多くなった。
それはブゥトンとしての仕事をこれまでサボってきたことのツケなのだから、自業自得なのだろう。
だけど、忙しい日々とはありがたいもので、栞の事を想って涙を流すことは少なくなっていった。
けれど、私の心は未だにどこか乾いたままだった。

その日、私は薔薇の館にいた。特に何をするわけでもなく、ただそこにいるだけ。
今日は会議もお茶会もないというから、多分誰も来ることはないだろう。

ふと思いたって、筆箱の中のカッターに手を伸ばす。
手首に押し当てたその刃は、冷たいかと思ったけれど不思議と温度が感じられない。
こんなもので命を終わらせる事が出来るものなのか、ぼんやりとそう考えた。


ガチャ


突然聞こえた扉の開く音に振り返ると、そこには江利子が立っている。

「…ごきげんよう。何をなさっているの?白薔薇のつぼみ」
「…別に何も?そちらこそどうなさったの?今日は会議もお茶会もなくってよ」
「忘れ物を取りに来ただけよ、そう邪険にしなくてもいいじゃない。
それに、そんなものを手首に当てている人が気にならない人なんているかしら」

江利子が現れた時、私の手元は先ほどと何も変わらない状態だった。
つまり、手首にカッターの刃を当てたままの状態。不思議に思わない人なんていないだろう。

「死のうとしているようにでも見えたのかしら?」
「さあ。正直何がしたいんだか分からないわ。死のうとしてるんなら、もっと悲愴な表情をしていると思うし」
「そりゃそうね」

私は笑った。
そして同時に、ここへ来たのが江利子であったことに心の中で感謝する。
もし蓉子が現れた日には、きっと面倒なことになっていたはずだから。
別に死のうとしていたわけではないし、やましい事は何もないのだけれど。
それでも蓉子にはこの姿を見られたくない。何故か心底そう思っていた。

「でももし、あなたが本当に死のうとしていたんだとしても、そんなことはさせてあげないわよ」
「え?」

江利子は私の手からカッターを取り上げて、そのままテーブルに突き刺した。
ここに来た時と何一つ変わらない、感情をたたえない顔で。
一連の動きを呆然と見送るだけの私に、江利子は言った。

「あなたが死のうとするなら、何度でも邪魔してあげる。簡単に死ねるなんて思わないことね」

江利子が、微笑った。
テーブルに刺さったカッターが夕陽を浴びて紅く輝く。
それは、血の紅とはほど遠いものだったけれど。

『綺麗だ』なんて口にしたら、目の前の彼女は一体どんな表情をするだろう。

「…ねぇ、聖。私や蓉子と一緒に咲く薔薇はあなたじゃなきゃ駄目なのよ。
私は、あなた以外の誰かが、あなたに代わって『白薔薇さま』になるなんて認めない」
「江利子…」

江利子が、今ほど自分の感情を吐露したことがかつてあっただろうか。
少なくとも、私はそんな場面を見たことがない。
だからとても意外だった。江利子がそんな姿を私に見せたということが。

「勝手にいなくなるなんて、絶対に許さないから―」

それだけ言うと、江利子は踵を返して行ってしまった。
残された私はただ、さっきの江利子の言葉を反芻するくらいのことしか出来なかった。


『勝手にいなくなるなんて、絶対に許さない』


その言葉には不思議と反発を覚えなかった。
むしろ、私の心に自然に溶け込んでいく気さえする。
そう、まるで乾いた大地に雨が降るように。


「…心配なんかしなくたって、二人の隣も、お姉さまの立っていた場所も、誰にも譲ってなんかやらないわよ」

苦笑しながら呟いたそれは、私の決意。



あとがき
一度書いてみたかった、江利子→聖です。でも聖さま視点。
ホントはリスカネタだったんですが(江利子さまの科白も『勝手に死ぬなんて〜』でした)、
結局収拾つかなくなって路線変更してこんな感じに。


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